塵書き

日記とか詩とか、言葉の落書きとか。思うままに。

郷愁の拠り所

まず水を見る。

水滴でも蛇口から流れる水でも雨でも川でも湖でも沼でも滝でも海でもなんでもいい。

その水に終着点はあるのだろうか。

 

循環とは即ち不老不死ではなかろうかなどと愚考した。

 

だがそれは命あってなし得られることでは無いのだとも考えた。

生老病死有機物の性であり、存在証明に大きく貢献することである。

それを捨てた生き物など、無機物と言っても過言ではないだろうに、そこに人権を尊重することなど有り得ない。

物言う機械は確かな助言を我々に齎すかもしれないが、同時に我々を貶めることをおくびにも出さず、彼らは道徳も学べない。

多様性の尊重は諸刃だろうが、それにしても実践せずというのは愚行である。

 

 

なにより客観ができないのが共同体そのものではないだろうか。

 

要は

またバイト落ちた。ふざけんな

である。