短編「囁き」
「命を可視化するなら人生は一冊の本に収まるか?」
僕の隣に佇む幽霊が、いつもそう問いかける。
こいつは見えない。
周りはこいつの存在に気づいていないようだし、俺には見えるそいつは、地面から明らかに浮いている。俺も見えないフリをしていれば、そのうちこいつは諦めていなくなるだろうと、知らないフリをしていた。
でも、ある日を境にそいつは俺の隣に現れた。
あれはそう、雨の音が耳朶に響くような、陰鬱な日だった。
「将来の夢はなんですか?」
何かのバイトの面接でそんなことを聞かれた。
「夢は、まだ明確には決まってはいませんが…」
……よく覚えていない。
なにか、当たり障りのないことを宣ったと思う。
ただ、よく覚えているのは、面倒臭そうな表情を隠せていない面接官の薄っぺらい笑顔だけだ。
やはりと言うべきか、そのバイトには落ちていた。
…あの日の面接官の薄っぺらい笑顔と、あの言葉だけが未だに雨の音とともに耳に残っている。
『将来の夢はなんですか?』
ずっと考えていたことなのに、未だに決着のつかないそれは、僕のアイデンティティを崩しにかかるには充分事足りた。
どうして。
今になって僕は考えたんだろう。
今まで碌に聴いていなかった音楽の歌詞が、唐突に頭に浮かぶ。
頭ではわかっていたんだ。
わかっていたはずだったんだ。
だのに、今になって突きつけられたこの感情と、この衝動を、一体どこにぶつければいいのだろうか。
「……人生を可視化するなら…命は、一冊の本に収まるか…?」
切々と、切々と、また隣でこの幽霊が囁く。
僕は今までの人生でなにをやっていた?
この人生は、いったいどこに向かっている?
振り返る。
20年にも満たない僕の人生は、気づけばそのピークを過ぎていた。
待っているのは期待もない、歯車の時間と、たった少しの余生。
青春を綴っていたはずのその手は、いつの間にか絶望を綴るようになっていた。
きっとその本は、小冊子と呼ぶのも烏滸がましい、薄っぺらいものが完成しているのだろう。
息を吸う。
それは今まで足りていなかったものを補っていくかのように、貪欲さを垣間見せるような深呼吸だった。
幽霊はいつしかいなくなっていた。
僕はまた人間を嫌いになる。
僕はほくそ笑んだ。