充足という名の毒
生きるとは毒を飲み続けるということと同義に思う
意識を持ち、理性を持ち、感情を持つ私は、生とか苦とかいう概念に日々翻弄され続けている
苦を得ることで生を意識し、
生を実感するために苦を得、
それらをどうしようも無いと諦観しているのだが、
誰しもがマゾヒスティックかつサディスティックな内部を備えている証左足り得るのではと常々思う
若さゆえの経験の浅さは苦だし、
老いゆえの体力の無さは苦だし、
人間性という多種多様千差万別の概念は苦としか言いようがなく、人間は多くても少なくても苦になる
生苦とはよく言ったもので、仏教は中々に真理を突いていると実感する
どうしようもなく今を生きてるんだ。
あぁ、本当にどうしようもない
生きることに意味なんてないのに
その死は数十億のうちの一でしかないのに
そこに拘ってしまうことが罪ではないかと
無知は時に雄弁に語ってくれよう
まぁそれこそ「愚の骨頂」というやつだろうが