塵書き

日記とか詩とか、言葉の落書きとか。思うままに。

2月24日 21時35分

皆様、こんばんは

 

いま私は深夜のアルバイトに向かっております。

業種は言えません。働くことは胸を張れることではないと思っているので、そこには触れないでいただきたい。

 

さて、「貧乏」というのは、振りほどいて逃げ切るのにとても苦労するもので、私は今日も今日とて「貧乏」が見せる危機感に追い込まれ、こうして(社会的に)生きるための時間を費やそうとしているわけです。

 

しかもこれはとても恐ろしい毒で、生まれが貧困であるとそこの子供は親の遺した負を精算するところから人生がスタートします。恐ろしい人生デバフです。最悪の場合連鎖を引き起こすそれは、世の中が生み出した世界の癌の一つだと私は思います。

まぁだからと言ってその境遇にいる人を嘲笑うことはできるはずもありません。誰もが不幸で不憫で不正を享受できるような世界ですから。

 

「原罪」という言葉をご存知でしょうか

(前提として私は無宗教ですが)旧約聖書の創世記にある、我々人類の祖であるアダムとイヴが、禁じられていた知恵の樹の実を蛇に唆されて口にしたこと。

そして我々人類は正と悪の分別をつける知恵を得た。唯一知恵を持つ神に対し反逆を起こしたに等しい行為だそうです。

 

然れども世の中とは不思議なもので、その子孫である我々は未だに全ての事柄を善悪区別をつけることができないどころか、それらを理解、認識すらできない。

 

後悔とはあらゆる物事と現象に付き纏い、それらの残穢のように人を毒していくことに、私が気づいたのはつい最近の事です。

自分が今までやってきたことは正しかったのだろうか。

自分が今までに正しいと思ってきたことは間違いだったのか。

ことある毎に頭の中を苛むのは、私を糾さんとする私の声で、それは終ぞ告白できなかった初恋のあの人が、今幸せそうな顔をしているのを遠くで眺めている虚無感に似ています。

 

本当は恋なんて1度もしたことないくせに

 

価値観とは曖昧なもので、人の数だけものの見方はあります。具体と抽象を綯い交ぜにした「多様性」とかいう都合のいい言葉は、今の増えすぎた人間を嘲笑うようにレッテルを貼り、それに振り回されて私は今を苦しみながら生きているのです。

 

私には後悔しか残らない