疲弊帰路
満員電車の中、誰ともわからない足がまた僕の足の甲を踏みつけた。
そちらを見ると、手元のスマホに夢中なOLだった。
こちらに見向きもせず、謝りのひとつも入れない姿を見て何も感じない自分に、何度目かの疲れを自覚した。
人と話さないために倉庫の単発バイトをした。
人に表情を見せないためにマスクをつけた。
目線を悟られないために姿勢を歪めて俯いた。
そうして、人より軟弱な肉体に鞭打ってただ労働をした。
肉体の疲労感が身体中を支配している。
悪い心地ではないが、良い心地でもない。
帰り道の最寄りの駅で、端の座席を陣取ることができたのは僥倖だった。立っていたら、今ごろ足が折れていただろう。
そうして、満員電車に押される人々に、足を踏まれ続けていた。壮年の男、女子高生、中年太りで禿頭の発汗が激しい男、女子大生、疲れきった顔をした新社会人、艶っぽいOL……。
別に足をわざと出しているとかではない。
気を遣って縮こまらせていて、この始末だ。
やはりと言うべきか、昨今の日本の満員電車とはそんなことで文句を垂れられるほど生易しいものではなかった。
彼らには足の踏み場がないのだ。
その様相を見れば、「人間すし詰めセット」などという不謹慎な言葉を発する者もいるであろうくらいには、それはそれは気味の悪い詰め込まれ具合である。
そら当然足のひとつふたつ、踏まれても文句は言えまい。言いたいのだがな。
そんな気力も無いし、足も疲れているのか、痛みに鈍かった。ハイヒールの踵に踏まれるような感触もあったが、痛みはなかった。
しかし彼ら彼女らも各々に、それぞれに疲れを負って帰路に着いているのだ。
踏んだところで謝る元気なぞ残っていないのだろう。
…それはそれで、礼がなっていないと言われれば返す言葉もないのだが。
とにかく、僕は足を踏まれ続けた。
数人こちらを窺うような素振りをするが、「謝る」という行為に至る者はやはりいなかった。
そして僕もまた、それに対して何も感じなかったのだ。
無関心は毒だ。
麻薬とでも言うべきか
回れば死ぬし、慣れれば狂う
僕の言い方が大袈裟だと思うなら、きっと貴方は人間という言葉を考えたことがないのかもしれない。
──これは皮肉だ
まぁともあれ、何かに関心、ないしは感心を得られないというのは、感情が死んだようなものなのだろう。
人の思考には理性と感情がある。
理性は自らを律するためにある
感情は自らを人間たらしめるためにある
より人間的に見えるのは、理性的な人間よりも感情的な人間なのだ。僕はそう思う。
僕自身、疲弊で感情が失せる。今日がそれだ。
この疲れは、肉体よりも精神だ。
精神の疲れ、感情の疲れ、心の疲れだ。
いつまでも自分の胸には底なしの穴が空いている。
貫通していない、でも終わりの見えない
深い、深い穴だ
満たそうとして、癒そうとして、なにもかもをそこに放る。
放っても、放っても、そこが埋まることはなくて…
やがてそれをすることすら、疲れてしまったのだ。
治し方が、わからなくなってしまった。
どうすればいいんだろう
どうすれば戻るんだろう
いつから…いつから満たされなくなっていたんだろう
思い出は笑わない
笑わず、嘆かず、憐れまず…
なにもせず、ただ消えていく
記憶に残ったのは、自分の残骸。
抜け殻のような残骸だけが残った
もう、満たないんだ