冷感
血管を冷やせば、自分のなかの憤りも冷めると思っていた。
冷静になればなるほど、募るのは人の卑しい部分を見つけてしまう自分がいる。
嫌な部分を見つけては、憤り、冷めて、また見つけ、憤り、冷める…を延々と繰り返している。
頭の中では、わかっているはずだった
自分と他人と、そのまた他人は、同じ形をした別の生き物だという踏ん切りがついているはずだった
いや、踏ん切りがついていたからこそ、怒っているのかもしれない。熱くなっているのかもしれない。
ただそこを指摘できない自分に恥じ入る
相手の個性を受け入れているなら、私が人の卑しい部分が嫌いだという理解があるなら、私はそれが嫌だと相手に伝えることなど造作もないはずだ。
遠慮があるのだ。親密ではないのだ。
いままで仲良くしていたあの人、あの子、あの方さえも、自分は弁えてしまう。
拒絶することを直ぐに起こせないのは、自らの未熟と、相手に対する信頼を築いていないからなのか。
恥ずかしい、恥ずかしい
こんな惨めさに今頃気づいた自分が恥ずかしい
叶うならば、もう一度やり直したいものだと、そう願ってしまうのだ。